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  • Satomi

レイキの歴史(結構マニアックな内容です)



こんにちは! 今となっては欧米で大人気の「レイキ」。

この「レイキ」ですが、実は日本生まれだと知っていましたか?

正確に言えば、日本で生まれて、一度ハワイに渡り、その後また日本に再輸入された、というイメージを持っていただけると正解なのですが、今回はそんな「レイキの歴史」について、ご紹介いたします。



■レイキの創始者は臼井甕男(うすいかみお)先生(第一期)(1922~1926年)


レイキの本当の始まりは、間違いなくここで、最初に「レイキ」を生み出したのはこの臼井甕男さん、1922年(大正11年)のことでした。

「臼井式レイキ」と言われるレイキが有名なのは、この影響で、「臼井式レイキ」と言われると、この時に生み出されたレイキのことを指します。

臼井先生は岐阜県山県郡谷合村で生まれ、幼少期から経済的に厳しい中、欧米や中国に何度も渡り、いろいろな学びを深められました。

また、とても勤勉で努力家でたくさんの本を読み、大人になってからはたくさんの職種に就かれ、いろいろな人生経験を積み重ねました。


そんな中で「人生の目的は何だろう」と考えるようになり、「安心立命を得ることである」ということに辿りつきました。


ある日、京都府郊外にある鞍馬山にて断食修行を行い、21日目の深夜に突然、雷が落ちたような衝撃が頭に走り、意識不明の状態に陥ってしまいました。


一夜が明け、意識を取り戻した臼井先生は今までに体験したことのないような不思議な感覚を感じ取り、「宇宙即我、我即宇宙」(私は宇宙だ、そして宇宙は私だ)という悟りを得まして、この時に「一大霊氣」ができたと言われています。

臼井先生はこの「霊氣」で、まずは自分の足の痛みを取り除きます。


その後、道ゆく人の歯の痛みを取り除いたり、奥様の病気を軽減させたりすることにより「レイキ」のハンドヒーリングのパワーを発見し、その後東京都青山に「臼井レイキ療法学会」を創設し、1926年に亡くなるまで、4年間に21名の師範(現在のレイキティーチャー・マスター)を育てました。

これが日本における「レイキ」のそもそものスタートで、できてからはまだ100年も経っていないことが分かります。


■第二期は林忠次郎先生(1922~1940年)


残念ながら臼井先生はレイキを発見してからたった4年で亡くなってしまいましたが、その後も臼井先生からレイキの伝授を受けた人々が活躍します。


臼井先生の次にレイキを広めたのは海軍大佐であり軍医であった林先生です。

林先生は海軍を退軍した後、臼井先生の勧めで東京都信濃町にレイキ治療所を作ります。


林先生はお医者さんであった経験をもとに、臼井先生の治療法を色々と改善し、現在「西洋式」と言われるレイキ療法の「基本12ポジション」やアチューメント方式の原型になっていると思われます。

林先生は1932年には臼井霊気療法学会を離れて独立され、林先生もその後9年間で13名のレイキ実践者(現在のサードプラクティショナー )や師範(レイキマスター・ティーチャー)を育てました。



■第三期は日系二世の高田はわよさん(1940~1980年)


日本で生まれた「臼井式レイキ」ですが1940年には日系人を通じてハワイへと渡ります!

その由来は、日系2世でハワイ・カウアイ島に住んでいた女性・高田はわよさんが余命を宣告されるほどの重病「胆のう障害」と診断され、療養のために日本に来られます。


病状が悪化して手術をすることになりますが、ご自身の「内なる声」に「手術以外の方法を」と言われ、外科医の先生の紹介により林先生に出会い、たった4ヶ月で病気が全て治ってしまいました。

1935年のことです。

当然ですが、高田さんは感激し、林先生に弟子入りし、レイキを学びハワイに持ち帰りました。


高田さんはアメリカ初のレイキマスターとなり、1975年にはハワイで本格的にレイキティーチャーの育成を開始し、22名のレイキティーチャーを育てています。


また、晩年にはハワイだけではなくアメリカ本土にもレイキの素晴らしさを広めています。

その一方で、日本では1945年の関東大空襲によりレイキ関係者がたくさん亡くなってしまい、また、資料もほとんどが焼けてしまい、さらには第二次世界大戦の敗戦をきっかけに、レイキは自然と姿を消し去ってしまい、一旦日本では「レイキ」はほとんどなかったことに・・・。



■第四期はハワイから欧米へ、世界へ!(1981年〜)


1945年に日本からはほとんど「レイキ」は消え去ってしまっていましたが、幸いなことに高田はわよさんがハワイにレイキを持ち帰っていました。


もしも高田さんがいなければ、レイキは既に無くなっていたかもしれないですね。

そんな高田さんが育成した20名を越えるレイキティーチャーたちが1981年、高田さんの孫であるフィリス・レイ・フルモトさんを中心にレイキ団体を作られました。


その他のレイキティーチャーさんもアメリカン・インターナショナル・レイキ・アソシエイションを設立されます。

この時に発展したレイキを「西洋式レイキ」と呼んでおり、この2団体が世界的な知名度を持つほどにレイキを広めます。

この頃から、レイキ療法にいろいろな改良も加えられ、現代医学との提携が行われるようになり、ボディワークに取り入れられるようになりました。




■第五期は西洋式レイキが再び日本へ!(1987年〜現在に至る)


そんな流れの中、1987年11月にはアメリカ・ニューヨーク在住のジャーナリスト三井三重子さんがレイキの本を日本語に翻訳・出版されます。


1993年には日本でもまた、レイキティーチャーの養成を開始します。

このようにして、日本国内でも海外で発展したいろいろな流れを汲む「西洋式レイキ」(一般的には「レイキ」「ウスイ・レイキ」と呼ばれるもの)が逆輸入され、カタカナ文字の「レイキ」として普及し始めました。



いかがでしたでしょうか・・・・?


レイキができてから、まだ100年足らずですが、日本からハワイへ行き、また日本に再輸入されたという独特な流れを汲んでいます。


長い歴史の中で、いろいろな改良もされ、現在では全世界にいるレイキプラクティショナー ・レイキティーチャーは800万人以上だとも言われています。

日本国内には2020年現在、およそ15万人程度のレイキ・プラクティショナー がいらっしゃると言われています。

特に欧米ではレイキ療法の認知度も高く、大学や医療の現場でもしっかり活用されています。



国によっては、医療保険が適用となっている国もあり、医師免許と同じく、国家資格として認められている国もあるほどです。

国が違えば、医療制度も異なるので、日本でも欧米諸国のように医療に適用されるのか、と言えば、難しい部分もあるのでは、と思いますが、海外では有効な代替療法の一つとして、急速に普及しています。

アメリカではレイキが「お寿司」や「天ぷら」と同じく日本語としても知られていて、辞書にも「レイキ=日本発祥の癒しのテクニック」として掲載されているほどです。


レイキの歴史を知っていただくことは効果を高めることにも繋がります。


実際にレイキを受けてみたい方はお試しセッションもございますのでこちらをご覧ください。


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